1-H 国際金融部とプロジェクトファイナンス

1994年の夏を過ぎると、1年間のニューヨークの研修は期限を迎えます。帰国にあたって知らされた帰任先は国際金融部というところでした。当時財務本部には国内のコーポレートファイナンスを司る財務部と運用を含む為替取引を担当する為替証券部と、主にプラント部と協調して巨額の融資を組成する国際金融部の3部体制となっていました。

当時の私が財務本部の中で一番行ってみたい部署が国際金融部でしたから、希望はかなったわけです。ただし、着任するまで、国際金融部がどんなことする部署なのか、おそらくわかっておらず、なんとなくかっこいいくらいの志望動機だったんだろうと思います。

なにしろ日本語ですら契約書をしっかり読んだこともない人間が英文で書かれた厚さ3㎝ほどもある融資契約書を読みこなせというのは至極大変な作業だったと思い出します。英文契約ならではの用語をひとつひとつ覚えながら、ファイナンスを組み立てていく作業というのは、とても新鮮で真剣でわくわくするような気持ちになったものでした。

金融機関の貸付というものは、例えば我々が借りている住宅ローンを例にとればわかりやすいのですが、まずはサラリーマンとして毎月十分な給料が入るという前提条件があります。さらに住宅そのものに抵当権が課せられ、返済が滞ったら金融機関は住宅を取り上げて競売にかけ、元本を回収するという手段を取ります。すなわち貸し手は負けない仕組みが出来上がっているわけです。担保物件のある住宅ローンではなく、企業が融資を受ける際には、社長の個人保証を求められたりして、会社が返済に滞ると、社長個人に遡及するような仕組みも多くありました。この遡及するということを英語ではRecourseと言います。

国際金融部で当時、プロジェクトに対する融資で私達が多くの時間をかけてとりくんでいたのは、プロジェクトが返済を滞っても、出資者に遡及しない、Non-recourse のローンの組み立てでした。

例えば発電所を建てるためのローンであればいくつかの条件をクリアする必要があります。
①発電所そのものがキチンと稼働して想定しているボリュームの発電が可能となること。
②発電するための燃料となるガスや石炭の供給契約が間違いなく結ばれること、信用力不足の場合には政府が保証すること。
③発電した電気を決まった価格で必ず買い取る売電契約が締結されること。現地国の電力庁等の政府が保証すること。
もっと細かい約束事もあるのですが、原則は燃料があって、発電ができて、電力を買い取ってもらえる。
国家プロジェクトであれば、それらを現地政府が保証することも当時は一般的でした。このパッケージをもとに我々は経済産業省の貿易保険をかけて、日本輸出入銀行の融資を引き出すことに日々取り組んでいたんです。
貿易保険の傘の下に輸銀:民間金融機関から6:4で融資を受けるというような仕組みです。

如何にロジカルな組み立て方に持っていくか、いかにリスクを分散して引き受けさせるか、腕の見せ所だったように思います。
当時は一人1台のパソコンもなく、E-mailのような通信手段もなく、プロジェクトの事業計画書や予想財務諸表はすべて印刷された紙で渡されていました。
紙で渡されるということは、どんな計算式が埋め込まれているかもわからない数字の羅列であったわけです。
その数字を表計算ソフトに打ち込み、どんな推移になっているのかを推測します。様々な費用が5%でインフレしていることに気づいたときにはすごくうれしかったことを覚えています。
ところが肝心の発電収入の数字の根拠がわかりません。上司に助けをもとめても、「プロジェクト担当者に電話で聞いてみたらええわ。国際電話かけてええで」という返事。おそらく当時の上司も全くわからなかったんだろうと今は思います。

私の下手な英語と担当者(ドイツ人)の下手な英語で、何度も何度も聞きなおして、ようやく理解した計算式は極めてReasonable。こんな地道な作業を何度も繰り返して、プロジェクトキャッシュフローの全容を解明しました。表計算ソフトに入れ直し、前提条件を置き変えれば、全体の答えも変わるように作成したら、先ほど登場した上司は「これは革命だ!」と感嘆していました。ただ、その後まもなく一人一台のPCとE-mailシステムが導入されたので、財務諸表はデータでやり取りするようになり、計算式の一つ一つを検証しながら作り上げ行くような地道な作業は不要になりました。
だから、こんな経験をしたのはうちの会社では私一人です。逆にいうと、細部までプロジェクトの財務諸表を理解したのも私一人だっただろうなぁと思います。

ある意味私は、手書きで表を作っていた世代とPCで表を作る世代のちょうど中間にいたということなのかと思います。
手書きで表を作成していた頃の方々は先に作成すべき表に埋め込む数値を収集し、分析し、最後に表に書き込むことになりますので、表が完成した時には表の内容を全て把握していたのだろうと思います。
一方PCで作成するようになると、数字の収集はデータのダウンロードで一瞬で終わり、表作成自体にかかる時間もあっという間になったと思います。しかしながら、分析はそこから始まることになります。表を作っただけでは何もわからない。
「表を完成する」ことだけを命ぜられた人は、表は作成するけれどもその中身は理解しないままに終わってしまうということです。

 

 



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