1-L 香港に移駐

当時の香港店の社長は財務部の先輩だった。僕がシンガポールから香港へ移駐した背景にはその社長の存在も大きかったのだろう。当時の香港店は利益の半分程度を財務部が稼ぎ出していた。債券やファンドへの投資で高いリターンを上げていた。もう一つの収益の柱は合成樹脂部隊だった。2000年前後は中国がいわゆる世界の工場と言われていた時期。中国の田舎から出稼ぎでやってきた工員の安い労働力を背景に労働集約的な産業が集積していた。家電メーカーはもとより、おもちゃや100均など合成樹脂の需要は極めて高かったし、香港から国境を渡った広東省には合成樹脂のお得意様の日系メーカーが数多く存在していた。

前回のコラムでも記載したが、僕は長年携わってきた財務ではなく、経理・人事総務を担当していた。12月末に赴任していきなり決算対応だった。連日深夜まで仕事をして家を決めるまで滞在するホテルに戻ってベッドに倒れこむような毎日だった。今から考えると大変ではあったものの、自分にとっては素晴らしい経験を得られたと思う。

総務の業務にしてもそうだ。特に総務のありがたみや重要性に気づけたことは大きい。

それまでは会議室にテーブルがあるのは当たり前、デスクと椅子が準備されていることは常識としか考えていなかったが、自分で担当してみて初めて、準備してくれる人がいたということに気づく。

これまで常に会社の業務のごく一部だけを担当していたのだが、香港に移ってからは管理部門の人数がすくないこともあって、会社全体を見渡さねばならない仕事となったように感じる。社長も頼ってくれたので大いに力を発揮することができたように思う。

海外にでるといつでもその国・その町のことを極めて深く知ることを自分に課すようにしている。香港では食を知ることがとても重要。中華料理はきちんとメニューを組み立てられると中国人からも信頼されるということを知っている日本人は多くない。香港店はお客様や出張者も多い店だった。接待する機会も多かったこともあるだろうが、量とバラエティと最も食べてもらいたい品をバランス良く頼めるように育てられた。ただし、残念ながら日本ではこの特技が使えるようなお店はほとんどないのが現実だ。

香港のもう一つ好きなところは遊歩道いわゆるトレイルが極めて整備されていることだ。おそらく宗主国のイギリス人が整備したのだろう。大都会のイメージしかない香港には実に自然にあふれた遊歩道が数多くある。旅行者にも便利で平坦な短い一番お勧めのコースは展望台で有名なビクトリアピークにある。意識して見てみると、展望台の入り口の横の道にある道になぜか地元の人が次々に踏み込んでいることに気が付くだろう。ここを起点にビクトリア山を一周する30分程度でまわれる短い散歩を楽しめる。短いとはいえ驚くほどの絶景だ。ビクトリアピークの展望台からは九龍側大都会の景色を見られるが、裏手に回ると広大な森と貯水池という表とは全く異なる香港の姿を見ることができる。

休日に家族でいろいろなトレイルに挑戦したことも素敵な思い出になっている。
仕事も生活も充実した日々が続いていたように感じられたある朝に、マンションのドアのスキマに投げ込まれた日経新聞海外版をみて、息をのむことになった。

 



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