1-N 経営統合

香港は高層のマンションが多いにもかかわらず、新聞を取っているとホテルのように玄関のドアのスキマに投げ込んでくれます。
その日開いた1面には大きなフォントでニチメンと日商岩井の経営統合という見出しが見えました。2002年12月のある朝です。

全くの寝耳に水の話でした。

とりあえず香港オフィスに出社して、問い合わせが来た場合の回答のすり合わせをしたいと本社財務部に電話をするも誰も出てくれません。新聞の報道だけが持っている情報なのですが、その真偽すらわからないという状態は非常に困ったことを覚えています。

この新聞記事は会社が発表したものではなかったので、本社としてもまず社内で情報を確認・整理するまでは一切動かないという対応をとったものかと思います。しかしながら、一人で対応しなければならない海外店で全く情報を出してくれないというのはなかなかやりにくいなぁと感じてイライラばかりが募ったものでした。

数日後には両社の経営統合が正式にプレスリリースされ、両社社長が共同で記者会見をした内容が届きました。
プレスリリース本文には「対等の立場で経営統合を行う」と記載されていました。
わざわざ書かねばならないということは実際には対等ではないということなのでしょう。
どちらの立場から見ても対等ではないものだったのではないかと感じます。
日商岩井側からすると規模も売上高もかなり小さいニチメンと対等と言わねばならない理由があり、
ニチメン側からしても対等と言わなければいけない弱みのようなものがあったのだろうと思っています。

いずれにしても、本社のみならず、自分の在籍する香港店も統合の作業を進めていくことになりました。
統合するのは約1年後2004年4月1日と期日だけ先に発表されているのですが、細かい手続きに関する本社指示が極めて遅くて頭を痛めていました。

幸い香港店の社長はニチメン、日商岩井ともにナイスガイな方々で、自分たちで決められることは早めに決めていこうという合意に早い段階で至ったため、そこからは動きやすく、さまざまなことを合理的にサクサクと決めていく作業に入ることができました。

統合の形式を決め、オフィスを決め、引越しの予定とそのための内装工事を進め、お互いの事業内容を営業部ごとにヒアリングし、重複している部署であればどちらの部長を統合後の部長にするかを含め、喧々諤々の議論をし、最後には平等に決めていくことができました。
日本人の駐在員はかなりの頻度でミーティングを行い、人間的な距離も縮めていくことができましたが、人数が圧倒的に多い現地スタッフにはなかなか話をする機会ができないことが悩みの種でした。
そこで両社の現地スタッフの顔写真入りの人事データを交換することにしました。そこからは部署と名前とおおよそのプロフィールを頭に入れるべく、日々読み込んで記憶していきました。

経営統合前に一度だけ、両社合同でパーティを開催したのですが、その時に私から名前で呼びかけられた日商岩井香港のスタッフたちは一様に驚いていました。それまで話したこともないニチメン側の人間が自分のことを認識してくれているということはそれなりにうれしい驚きだっただろうと思います。

コミュニケーションの非常に重要な要素の一つは相手のことに興味を持つことではないかと考えています。
相手に興味を持って、真摯に話をすることで相手は心を開いてくれる。心理的な安全性を確保しないと良いチームはできないと思います。実践のなかで考えたことです。

私はこんなふうに良いことなのではないかと考えて、行動してきた事柄が数年後違った形で自分に返ってくるとはこの時には全く思ってもいませんでした。



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